魂を伝えた人

c0040315_9111244.jpg先日、AS.モナコの監督を辞任したデシャンの後継として、ラモン・ディアス(FW・元アルゼンチン代表)の名前が挙がっているそうだ。
ラモン・ディアスは、Jリーグの初代得点王であり、Jリーグ創世紀を盛り上げた外国人選手の1人である。
おぼつかない足取りで歩き始めた日本のプロサッカーにおいて、彼のワールドクラスのプレーやメンタリティに魅了された日本のファンは少なくないだろう。

ラモン・ディアスは1959年8月29日生まれの現在46歳。
彼は名門リバープレートでキャリアをスタートさせ、その後インテル・ミラノやAS.モナコなどのクラブを渡り歩き、Jリーグ開幕に合わせて日本にやってきた。

彼は、アルゼンチン代表としても活躍し、左足から繰り出されるシュートは強烈だった。
しかし、決してエゴイストにならず、まわりの選手を活かすことも出来る選手だった。
それはまるで、彼の穏やかで豊かな人間性を表しているかのように見えた。

しかし、彼がエゴイストになれなかった理由は他にもあるように思えた。
彼の代表キャリアには、常に究極のエゴイスト、ディエゴ・マラドーナが伴っていたからだ。

利き足もポジションも同じこの怪物の隣でプレーをしなくてはならなかったディアスは、もしも、マラドーナがいなかったら、80年代のアルゼンチンの英雄となれただろうと言われるほどの才能を持ちながら、常にマラドーナの輝きに霞みがちだったのだという。
また、性格の違いすぎる二人はあまり仲も良くなかったと聞いている。

私がディアスの凄さを思い知らされたのは、ディアスが在籍していた当時の横浜マリノスの練習試合を観に行った時だった。
当時の監督は、ホルヘ・ソラーリ氏(サンチャゴ・ソラーリの叔父)だった。
ディアスは、若い日本人選手達対し、声を張り上げ、時には中盤に下がってまでポジションやパスコースを指示していた。
シュートを外した選手に対しては優しく肩を抱いて指導していた。
その光景を目の当たりにした私は、ディアスのスター似合わぬ真摯な姿勢に心打たれた。
自らの得てきたものを余すところなく伝えようとするその姿は、当時発展途上にあった日本サッカー全体に、世界のレベルをたたき込もうとしているかのようにみえた。

現在の日本サッカーの成長は、ディアスのように表に出ない形で尽力してくれた外国人選手の存在なしではあり得なかったであろう。
彼らは技術のみならず、世界レベルのメンタリティをも伝えてくれたのだ。

日本では、どのスポーツにおいても外国人の台頭を好ましく思わない論調が起こりがちである。それはおそらく、そのことが日本人選手の衰退に直結するという恐怖感があるからであろう。
他のスポーツではわからないが、サッカーに関して言えば、逆にディアスのような外国人選手が、サッカー文化の伝道師として、日本人選手および、日本のクラブの経営陣を世界レベルに引き上げてくれたといっても過言ではないだろう。

c0040315_9114963.jpgそのような伝道師の1人であるディアスが、監督として再び才能を開花させようとしていることは、個人的に喜ばしいことである。
そして、今度こそは誰かの引き立て役に甘んじることなく、主役として欧州サッカー界を席巻してくれることを願って止まない。

bazzinさんが、Jリーグ創世記時代のその他の助っ人外国人選手について書かれています。
→ 「偉大な助っ人たち
とても興味深いですよ!
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by kobo_natsu | 2005-09-30 12:00 | 選手