移籍市場の光と影

近年、欧州サッカーの移籍市場は、シーズン開幕直前に大きな動きを見せることが多くなった。
これは、選手を放出するクラブ側が、移籍市場が閉まるギリギリまで交渉を引き伸ばし、移籍金を出来るだけ高く設定するためだと言われている。
欧州サッカーの放映権バブルがはじけた今、財政に余裕のない多くのクラブは、どんなものも、あますとこなくカネに換えるようになった。

クラブの財政を助けるという意味では、才能ある選手を安価で獲得すること以上に、クラブとの契約が切れた有望な選手を移籍金ゼロで獲得することが重要だ。
そして、この契約期間満了後の自由移籍が認められるきっかけとなったのが、95年のボスマン判決である。

今から約10年前、ジャン・マルク・ボスマンは、ベルギーのクラブに所属していたが、クラブとの契約が切れ、フランスのクラブからオファーを受けていた。
しかし、当時は契約期間満了後も移籍金が発生するというシステムであったため、ボスマンは移籍金がネックとなり、フランスのクラブへの移籍交渉が難航していた。
ボスマンは、この移籍に、自身の生活がかかっており、移籍が実現しなければ生計を立てることもままならない状況だったのだという。
そのため、なんとか状況を打開すべく、所属クラブを相手どり、裁判を起こしたのだ。
ボスマンについた敏腕弁護士は、契約期間満了後に移籍金が発生することは、ローマ条約における、「労働者の移動の自由」に違反すること、そして、いわゆる外国人枠につき、「国籍による差別の禁止」に違反することを主張した。
そして、これらボスマン側の主張は、認められた。

移籍システムは、契約期間満了後の選手の移籍については、移籍金が発生しないと改められ、それまで厳密だった外国人枠についても、EU加盟国間では撤廃され、EU加盟国以外の国の選手でもEUパスを所持すれば外国人枠に拘束されないことになった。

これがいわゆる「ボスマン判決」である。

この判決により、欧州移籍市場は活発化し、クラブの多国籍化が進んだ。
レアル・マドリッドやチェルシーが「スター軍団」と呼ばれるようなチームを作ることが出来たのは、この判決あってこそに他ならない。

しかし他方で、小さなクラブの下部組織上がりの若い選手が、自分を育ててくれた古巣を簡単に捨て、ビッグクラブに流れるようになり、小さなクラブがビッグクラブに凌駕されるようになった。
サッカー一筋で、右も左もわからない若者の、世間を図るものさしは、カネに変わっていったのだ。
クラブはその対応策として、契約期間満了前に出来るだけ値段を釣り上げて選手を売却するという駆け引きに、腐心するようになった。
ボスマン判決は、選手の移籍の自由とともに、クラブや選手の拝金主義をももたらしたのだ。

このような現状から、ボスマン判決は、諸悪の根源とみなされている。
そのため、ボスマンは、訴訟を起こした当時と同様に、現在も生活に貧窮しているのだという。
しかし、この判決が欧州の移籍市場の規制緩和を促進し、我々サッカーファンに多くの夢を与えてくれたのも事実だ。
移籍の自由化により、我々は、従前では有り得ないようなスターの共演を見ることが出来たのだ。

確かに移籍市場の自由化による歪みは確実に表れている。
チーム間の実力格差や下部組織の選手育成システムの不備などはその一例として挙げられる。

しかし、ボスマン判決のもたらした負の遺産をボスマン自身に押しつけて問題を棚上げにするのではなく、それをどう清算していくかを考えることが課題となるであろう。
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by kobo_natsu | 2005-07-13 22:27 | ニュース